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カテゴリ:アツヲ@営業部( 128 )
アツヲに訊け!スーパー ![20]
     
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ネットだけで読める「アツヲに訊け」の拡大版!
その名も「アツヲに訊けスーパー!」
でももちろんアツヲにだって解決できないこともあるよ!
今日はそんな日!


 
毎日の家事にイライラします。なんで女ばかりがしなきゃいけないんですか?
ようりん(36歳・女)


 世の中には男が多くの家事を担う家庭も少なくはない。「女ばかりが」という表現が的を得ているかはさておき、もし混乱してとてもこなせないようの量なら、しばらく外食で済ませるなりハウスクリーニングを頼むなり、一度は戦線から大きく距離を取ることも重要だ。

 日本人はなにか自分に手に負えない問題が起こったとき「一所懸命」の精神からだろうか、その渦中のど真ん中で考えるクセがあるように思う。いじめられても休まず学校に行ってみたり、家族仲が悪い時期に無理に一緒に住んでみたりしたところで、自殺やDVの悲劇が増えるだけだ。戦いの基本は「アウトオブレンジ」。つまり相手の攻撃が届かない場所からこちらの攻撃を落ち着いて正確に加えることで有利な状況を作り出せる。何かを解決しようとしたときに問題の射程圏内にいてはダメなんだ。散乱した部屋をそのままにしてでも、まず近所のカフェに一時避難してコーヒーの一杯でも飲んできたらいい。

 そうだ、今日はレヴィ=ストロースの話をしよう。正式な名前はクロード・レヴィ=ストロースという。彼はフランスの民族学者で、オレたちの暮らしが近代化されていくなか、現代人こそ野生の感性を忘れてはならないと説いた人物だ。

 彼は今から何十年も前に情報が溢れる社会の到来を予見しており、そこで人類が森で暮らしていた頃のような野生の嗅覚を失うようなことがあれば、簡単に情報に翻弄されてしまうという危機感を持っていた。まるでインターネットの普及とその社会的な問題点を突いているようじゃないか。当時、経済成長により人々の生活スタイルが大きく変わっていくなかで、日本の思想界にも大きな影響をえただけでなく、著書「野生の思考」などにより一般にも広く親しまれた。

 2009年に100歳で亡くなってしまったレヴィ=ストロースは1977年に学会に招かれて初来日した。そのとき各地をフィールドワークして歩いたことをきっかけに日本に大変な興味を持って、以来何度も来日を重ねる親日家となった。

 その時代はまだ多くの民家を地元の大工が建てており、職人の文化が日本人の暮らしに息づいていた。陶磁器や織物、竹細工などの民藝も盛んで、彼はこれらの作業現場を大変興味深く見つめていたという。そこでフランス語で「労働」を表す「travail(トラヴァイユ)」という単語が日本の労働に限っては翻訳として正しく当てはまらないことに気がついたんだ。

 一神教の文化を持つ西洋では、労働は原罪を償うための苦役や天国に行くための修行という考えが根底にあり、日々の仕事は生きるために自分を殺して仕方なくするもの、という意識が強かった。それに対して彼が日本で見た職人たちはみな、仕事そのものに価値を見出し、文字通り寝食を忘れて作業に取り組んでいた。

 さらに石や木をムリヤリ人間にとって利益あるものに作りかえてしまう西洋に対して、自然の命を保ったまま手を入れる部分を極力減らして美しい形の道具や家具を作り出していることも知った。

 少ない労力で美しいものを生み出す、という特徴は料理にも通じる。鍋の中で全てを一緒に煮込んでしまう西洋とは違い、日本料理は魚は魚、野菜は野菜というように分けて配置され、口に入れる直前まで食材が生きていたときの姿が見えるようにデザインされているということにも気がついた。ここでも加工は最小限というわけだ。

 遠いフランスから来たレヴィ=ストロースの目を通して見た日本観にはたくさん学べる点があるとオレは思っている。

 いや、思っていた。

 「本来、料理の楽しさや掃除の達成感は人間の野生の部分を刺激してくれるものだ」と、今日はそんな感じに締めくくろうと思っていたが、レヴィ=ストロースが日本を巡っていた時代と、現代では家庭の事情が大きく違っていることに、たったいま気がついた。よく考えてみれば、あの時代の職人がみな自分の仕事を抱えながら、同時に育児や家事を完璧にこなしていたとも思えない。

 どうやら日本の家庭事情の歪みはフランス現代思想をもってしても簡単には解決できないらしい。

 ようりんが悩むパートナーとの家事の比率が10対0なのか6対4なのかはわからないが、きっちりと半分に分かれる日も永遠に来ないと思うので比率をイライラに繋げてしまわないほうが良い。それでも家事に関する交渉を持ちかける場合は、結果的に状況が変わらないことも念頭に入れて休戦のタイミングをきっちり決めておくことだ。交渉というのは、平行線でラッキー、少しでも前進すれば大ラッキーくらいに考え、辛抱強くチャンスを待ち続けよう。

 家事は余裕をもってこなせる量なら楽しいのだが、仕事や育児などが複合的に絡み合うと、とたんに大変になるんだよなぁー。とにかくひと休みしようぜ。


 
 
 
 
 
 

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by hoo-ja986 | 2017-02-08 20:56 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
アツヲに訊け!スーパー![19]
     
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新年あけおめ!アツヲに訊けスーパー!をことよろ!
ついに年をまたいだ当コーナー。
今年もアツヲが持っている「器」以上でもなく以下でもない回答で
一生懸命答えます!



 
標準語をこちらでつかうと冷たくキツイ感じがすると言われます。でも私からすると新居浜弁の方がキツイと感じます。どうしたら馴染めますか?
かぴん(35歳・女)


 最近こちらに引っ越してきたのかな?そういうことで話を進めよう。かぴんがそう感じるのは未だ以前住んでいた街に強い愛着があるからだろう。人はどこに行っても自分の生まれ育った土地の記憶とともに生きてしまうのもだ。もし逆の移動を行った者がいれば、やはり新居浜の言葉が恋しくなることもあると思う。それと同じだ。だからどこの言葉がキツイというのはないと思う。

 だからといって標準語を無理をしてすぐにこちらの言葉に直す必要もない。これから新居浜での生活が続けば少しずつ標準語の中に新居浜弁が混じってくることもあるだろう。標準語と新居浜弁のハイブリッド、他の誰とも少し違う自分だけの喋り方こそ、かぴんが歩んできた歴史を表す大切なアイデンティティーとなるはずだ。

 たしかに長く過ごした思い入れのある土地を離れるというのは辛いこともである。その経験がある者はみな街の地形や匂いに圧倒的に敏感になる。これからかぴんはまるで別れた恋人を探すように、新居浜の街並みの中から自分が過ごした街の風景の面影を見つけようとするだろう。

 しかし悲観することはない。ある種の人間にとって生きるという作業は、なくしたものを思い出すことだったり、手に入れそこねたものに再び近づくためのものだったりする。そして、その行動によりしばしば最初に持っていたものより上等なものが手に入ったりするから、人は向上心を持って生きてゆけるのだ。
だからしみじみと思い出せるものを持っているということは、それだけで良いことだ。それを持っていない人間が、世の中には意外に多いからな。

そしていつの日か、かぴんの人生にとって新居浜が思い出深い街のひとつとなることを祈っているぞ!
 
 
 
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by hoo-ja986 | 2017-01-10 20:23 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
僕はライアン博士を越えている
 
アツヲです。
お盆休みに引き続き、お正月休みも映画三昧でいこうということで、
「ゼロ・グラビティ」「インセプション」「インターステラー」のブルーレイを購入。
ゆっくり楽しむつもりが、
誤って3本連続上映して1日で消化してしまいました。でも満足です。

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「ゼロ・グラビティ」はすでに名作としての地位を固めているので
少々のネタバレも入れつつ感想を述べると、
この映画ってカメラの長回しが異様に多く、
シーンのカット数も少ないので、
かなりリアルタイム感が出てるってことに気づきました。
映画館では気がつかなかったんです。

「え、じゃあライアン博士(サンドラ・ブロック)って
ほぼ映画の尺の90分くらいで宇宙から地球に帰ってきたの?」

ってことですが、たぶんそういうことだと思います。

90分っていったら、今治からホージャ編集部に帰るのだって、
道が混んでたらもう少し時間がかかりますよ。

宇宙って近いなー。


帰還にあたって、ライアン博士は
国際宇宙ステーション、ソユーズ宇宙船、中国の宇宙ステーションの順で
ぶっ壊しながら命からがら地球に戻ってくるけど、
僕は営業車に傷ひとつ付けずに松山からだって戻ってこれるので、
僕のミッションスペシャリストとしての実力は、
案外ライアン博士と同等かそれ以上なのかも。

 「インセプション」と「インターステラー」に関しては、
もうクリストファー・ノーラン監督、すごい。5次元宇宙とかすごい。
くらいしか言えません。

それよりノーラン監督といえば、
去年世話していた野良猫ノーラのことを思い出します。
ある日気が付いたら全く別の猫とすり替わっていたのですが

「こんなこともあるもんかなぁ」

と思いながら、その新しくなった猫にエサだけはあげています。

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んんん〜?
キサマ、よく見るとノーラではないじゃないかーーーーっ!!!
 







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by hoo-ja986 | 2017-01-02 10:21 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
アツヲに訊け!スーパー![18]
    
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本はいいよね〜。袋麺を鍋のまま食べる時は鍋敷きになるし、
強盗が入れば背表紙の角で頭をぶん殴れば撃退できちゃう。
並べた本が倒れそうな時はハードカバーを数冊平積みするだけでブックエンドにも。
今年最後の、ブログだけで読める「アツヲに訊け!スーパー!」はじまるよ!



 
読書が苦手です。読みかけの本が大量にあります。読み始める時はワクワクしてたはずなのに、最後まで持続しません。どうすれば楽しく読破できますか?
おつゆ(40歳・女)


 読書が苦手と言いながら、この本が売れない時代にしっかりと気になった本を購入するところが素晴らしいじゃないか!いくら中身が気になっても、本はまず買わないことには読書がスタートしないからな。

 もし本を最後まで読み通せないことにコンプレックスを持っているなら、この機会に学生時代に読んだ本を探してもう一度再読してみるのもいいかもしれないな。大人になった今読めば、きっと以前とはまったく別の気づきがあると思う。おつゆにとっての名著に大化けしている可能性も十分ある。実家の押入れを探索してみよう。

 よくある失敗例として本に自分の理想を投影してやたら難しい専門書を買ったりするが、それは本当の本好きのふるまいではない。立派なタイトルの本が必ずおつゆの人生をよい方向に導いてくれるかといえば、それは微妙なところだ。1回も読み通せていないカントの「純粋理性批判」よりも、例えば10回読んだ高田純次の「適当教典」のほうがピンチを切り抜ける際に役立つ(こともある)のが読書の奥深さだからだ。人生で10回繰り返して読める本に出会うって相当な幸運だぜ!「適当教典」にその必要があるかは、まぁ別として。

 本をよく読む者ほど「実際のところ、その場になってみるまでなにが役に立つかなんて分からない」ということを知っているものだ。本に対する偏見を持たないことが、前向きに読書を楽しむコツだ。まるで虎ノ門ヒルズにあるレストランみたいなかっこいい装丁の本じゃなくてもいいじゃないか。薄い文庫本でもいいから、一人で毎晩入れる居酒屋のような本を探そう。

 「読みかけの本が大量にある」ということだが、これも気にするな。何度かデートを重ね、こちらがその気になるだけでステージを先に進めることができる異性がたくさんいるのと同じ状態だ。素敵なことだと胸を張ってもいいくらいだ。さらに本はどれたけ待たせても文句ひとつ言わない。

 また、テレビなどで本が大量に詰まった本棚を見た素人がよく「すごい!これ全部読んだんですか?」なんて聞いているシーンを見るが「なにをバカな。そんなはずないだろう」というのが蔵書家の本心だ。「読了した本」と「これから読む本」または「必要になったら読む本」「気が向いたら再開する本」などが混じりあっている本棚が豊潤な本棚なのだ。人に何か言われたら「私には始まっていない恋がたくさんあるの」とでも言っておけ!

 オレにも「あれを読まなければ、オレの人生は無に等しい!」と書店に走り、買った瞬間に動悸がおさまって、1ページもめくらないまま本棚のオブジェと化した本が大量にある。よって、おつゆの現状はごく一般的な「読書家」の通常運転の姿である。それでもおつゆのペースならば、遠くない将来に必ず気の合う一冊に出会うことができよう。悩む必要まったくなしだ!
 
 
 
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by hoo-ja986 | 2016-12-20 21:44 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
アツヲに訊け!スーパー![17]
   
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ブログだけで読める「アツヲに訊け!スーパー!」第17回!
日本人はツラい時はすぐ仏様の教えに頼るのに、
こと商売となると必ずキリストとかその周辺が引っ張り出されるよね。
ちなみにソビエト連邦がクリスマスに崩壊したのは
クリスマス商戦が失敗したからとかそんな理由じゃ全然ないぞ!


 
クリスマスはそもそもイエス・キリストの降誕を祝う日なのに、日本のクリスマスって変!商業戦略に乗っかりたくないと毎年思います。
つむぎ(50歳・女)


 確かにクリスマスは現代の日本では商業戦略であることに間違いはないが、クリスマス商戦がない社会には「お得意様限定の秋冬新作コレクション発表会のご案内」もなければ「イケメンアイドル」もいない。つなぎ放題のWiFiも、この前の博多駅前道路陥没事故の素早い復旧もおそらくないだろう。それがオレたちが生きている資本主義社会の実態で、これらすべてワンセットだ。

 残念ながら社会は「ホテルの朝食バイキング」のように良いとこ取りができない。だから腹八分で満足しながら生きるしかない。もしかしたらつむぎはいま、クリスマスに浮かれる人々も含めてこのイベント全体を斜めから見ているのかもしれないが、君だって恋人と過ごすはじめてのクリスマスはきっと心が躍ったはずだ。ルンルン。私の時代にはクリスマスなんてなかった?ウソはいかん!クリスマス商戦は明治時代からあったぞ!

 しかし!オレはなにもムリヤリつむぎに一緒になってクリスマスを楽しもう!と誘っているわけではない。イギリスの劇作家T・S・エリオットは自著のなかでこんなことを言っている。

 「ひとつの社会の中に階層や地域などの相違が多ければ多いほど、あらゆる人間が何らかの点において他のあらゆる人間の同盟者となり、他の何らかの点においては敵対者となり、かくしてはじめて単一に一種の闘争、嫉視、恐怖のみがほかの全てを支配するという危険から脱却することができるのであります。(文化の定義のための覚書)」

 超簡単に言うと、人々が「おおむね好きだけどたまにイヤ」的なモノとなるべくたくさん繋がっているほうが、大好きなものだけが周りにある世界よりも逆に平和が長続きすると唱えたんだ。

 エリオットはこの好きだったりちょっと嫌いだったりするモヤモヤを「摩擦」と呼び、その「摩擦」が多い社会のほうが安定して長続きすると言った。(たぶんそんな感じ)

 なるほど。たしかに、好きという一点だけで物事と繋がっていると、その気持ちが冷めた時、一気に嫌悪や憎しみに変わって関係を徹底的に壊してしまう可能性がある。オレにも覚えがあるぞ。「恋」とかな。それが国家規模で勃発すれば、すなわち内乱や民族の分断だ。

 「昨日の敵は今日の友」ということは生きてりゃたくさん起こる。それがクルクル回りながら、今日はこっち、明日はあっちという風にみんながゆるやかに移動しながら生活しているほうが健康的というわけだ。

 クリスマス好きもクリスマス嫌いも共存できるのが現在の日本だ。なんでもすぐにお金の話になってしまう資本主義を全面肯定する気はないが、それに背を向けて生まれた社会主義国家のソビエト連邦が25年前のクリスマスに内部から崩壊してしまったのもまた事実。

 まぁイベントなんて自分が静かにしていれば勝手に通り過ぎていってくれるもんだ。外は騒々しいが、コタツに入ってなんとか乗り切ろうぜ。

 オレか?オレはクリスマス好きだぞ!シャンメリーがお店に並ぶからな。




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by hoo-ja986 | 2016-12-06 20:55 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
アツヲに訊け!スーパー![16]
   
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「見くびるなよ」
その日、アツヲは真剣な眼差しで私にむかってこう言ったんだ。
「オレは泣き寝入りのプロだぞ」と。
だから私はこう返したのさ。
「は、はぁ...」
ってね。

ブログだけで読める「アツヲに訊け!スーパー!」第16回!はじまるよ!



 
私は、お店の人にえらそうな態度をとる人が大っ嫌いです。なぜ上から目線で接するのでしょうか?いい歳をして恥ずかしくないのでしょうか?
KUKURI(32歳・女)


 当たり前だがオレたちが生まれたばかりで赤ん坊だった頃は母親のおっぱいは無料で飲み放題だった。しかし今は何らかの仕事をして稼いだお金の中からしか生きるために必要な物が手に入らない。はて、オレたちのまわりでいったい、何がどのように変わってしまったのだろう。

 ちょっと昔のことを思い出してみよう。テストで良い点をとるとか、家の手伝いをするとか、親からお小遣いをもらうための条件を提示されるようになった時期はないだろうか。そしてそこに理不尽さを感じた経験のあるものもいるだろう。
 
  親の財布と自分の財布が限りなくイコールの状態である幼い頃には、自分のお小遣をいくら貯めても手が届かないような物も、誕生日やクリスマスをうまく絡めて必要性をプレゼンすればそこに一縷の望みを見出すこともできた。しかし成人が近づくにつれその供給もストップしてしまう。
 
 そう、滞りなく無条件で定期的に懐に入っていた小遣いはある日を境に条件的で限定的なものに変わってしまうのだ。

 これは、オレたちが大人になって放り出される資本主義社会には基本的に前払いのシステムはないことを、まわりの大人たちが暗示してくれているわけだが、これをうまく飲み込めないでいるとKUKURIが大っ嫌いな店員に対して態度がでかい大人が完成してしまう。

 顔に出すことはないが、お店のスタッフだって当然「きちんと支払いは行われるのだろうか」という不安と日々戦いながら精一杯のサービスを提供している。

 爽快とは言い難いが、この経験を経ることで人は日々の経済活動におけるフェアネスの精神を学ぶとともに、駆け引きの能力や勝負どころでのカンを磨いてゆく。つまり大人になっていくってことだ。
 
 サービスに対して不満があるなら遠慮なく論理的に意見を表明すればいい。しかし厄介なことに大人の交渉とは阿吽の呼吸でもある。相手がハードルを上げれば、こちらも本気の態度を見せつける。しかし相手が譲歩する姿勢を見せたら、選択肢を広げてもらったことに素直に感謝して、こちらも柔軟な対応を早急に用意せねばならない。相手が軟化した瞬間に自分が勝負に勝ったと勘違いして、閉店前のスーパーの割引商品をカゴに詰め込むかのごとく、あれもこれもと条件を上乗せするバカが多いんだよな。困ったもんだ。

 勘違いしてはダメだぞ。交渉というのはドローのまま延々ともつれている限りにおいて、互いにとっての利益を最大化させるという特性がある(武力紛争など、人の血が流れる場合を除く)。つまり勝敗というのはキッチリと決まってしまわない方が、長期的に見ていろいろと良いことが多いのだ。

 店員に対して急に態度がデカくなるようなヤツもそうだが、いい大人が小さなことで勝敗を決したがる場面を見るたびに「オマエは一体何と戦っているのだ」とツッコミたくなる。「短気は損気」「急いてはことを仕損じる」まぁなんでもいいが、とにかくライフ・ゴーズ・オンだ。お互い、人生は明日も続くということを忘れないようにしたいよな。


 

 
 
 
 
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by hoo-ja986 | 2016-11-23 21:27 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
アツヲに訊け!スーパー! [15]
  
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ブログだけで読める「アツヲに訊け!スーパー!」第15回!
アツヲは敷地内に棲みついたノラ猫が寄生虫まみれだということを最近知って
これからの交際の距離感について考えあぐねているらしいぞ。
とにかく病院に連れて行ってあげろよな!


 
飼っているハリネズミがなつかないんです。心の距離を縮めるにはどうしたらいいですか
モカプチ(35歳・女)


ハリネズミってなかなか珍しいな。そもそも犬や猫と違って人間になつく動物ではないのではないか?古代壁画なんかにもあまり描かれてないだろう。

動物っていうのは本来生きている場所でこそ最大の美しさを見せてくれる。だから珍しい動物の飼い主はあらゆる努力を投じてそれに近い環境を整えてあげるという責務を負うのだ。まずは少し距離をおいて遠くから静かに見守ってやるんだな。いままでモカプチに見せなかった姿を徐々に披露してくれるかもしれない。

人間関係も同じだぞ。こちらが好意を持ったからといってべったりとくっついていると、ダンボール箱の中のミカンのように密着した部分から腐っていく。何事も長持ちさせるにはある程度風通しが必要だ。

確かに美しいモノや愛する人との出会いは人生の喜びだ。だからどんどん関係を深めたいという衝動に駆られて突っ走ってしまう。しかし気をつけろ。どんな関係も食べ物も致命的に腐ってしまう直前はい〜匂いがする。その先にあるのが破滅である可能性もしっかりと考慮しなければならない。

大切にしたい関係を見つけたら、それはオレたちの緻密なメンテナンスなしには擦り減って消耗してしまうものと心得よ!近づくことの同じくらい離れて見守る時間も重要なんだ。

遠くから眺めるからこそ美しいものもこの世界にはたくさんあるのだぞ!

 

 
 
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by hoo-ja986 | 2016-11-08 18:39 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
アツヲに訊け!スーパー![14]
   
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ブログだけで読める「アツヲに訊け!スーパー!」第14回!
アツヲが「ジョブズ最後のデザインだからあとで絶対爆騰する!」
と断言して保管している「未開封iPhone 5s」は、
今ヤフオクでだいたい1円スタートだ!


 
旦那は物が捨てられなくて、使わなくなった物はなんでもかんでも倉庫に押し込んでしまいます。どうしたらよいでしょう。
じゃがりこ(39歳・女)


すぐに倉庫を改修しなさい。なんなら空調設備を入れ、床を上げて壁を厚くし、家の中で一番清潔で温度と湿度が管理された空間をつくるのだ。じゃがりこもじゃがりこの旦那も倉庫を生活スペースとゴミ捨て場の中継地点程度に捉えているのではないか?それはあまりにももったいない!家庭内での倉庫スペースの地位をグッと格上げすることで、旦那も「なんでもかんでも」とはいかなくなるはずだ。

昨今は「ミニマリスト」というライフスタイルがブームとなっているようだが、必要なくなったモノをすぐに捨ててしまうのもどうかと思う。豊かな生活のためにはある程度のモノの保管が必要だ。人は常に前だけ見て突っ走っていけるわけではない。ときに過去を振り返り自分の立ち位置を確認する必要がある。その時に役立つのが、ともに人生を過ごした思い出の詰まったモノたちである。

ところで「ハーブ&ドロシー」という映画を観たことがあるだろうか?アパートの小さな部屋に住む、一見なんの変哲もない老夫婦が実は稀代のアートコレクターだったというドキュメンタリーだ。

そろって公務員だったヴォーゲル夫妻は、べつに金にあかしてアートを収集したわけではない。たまたまアートが大好きだった夫婦が、まだ名も知られていないの若手アーティストたちと個人的に仲良くなり、作品に対しての率直な意見を交換し合い信頼を築きながら、ごく安い値段で大量の作品を集めていたのだ。

後に夫妻と交流のあったアーティストたちは軒並み世界に名を轟かせるようになる。それらの作品を1点でもオークションに出せば即大金持ち!しかし夫妻は全てのコレクションをタダで国立美術館に寄贈してしまった。これは実話だぞ!

モノを大切に保管するという行為は先見の明さえあれば自分だけでなく、公共に大きな利益をもたらす場合があるのだ。

残念ながらヴォーゲル夫妻のアパートには倉庫と呼べるような設備はなかった。だからベッド下のスペースや壁などを使い大好きなアートに埋もれて生活していたのだが、寄贈品のリストをつくるため、ふたりが幸せに暮らす小さな部屋に国立美術館の調査員がやってきた時、温度や湿度を厳重に管理されるべき国際的価値のある作品たちが金魚の水槽の横に置かれているのを見て真っ青になったという。美術館とアパートをトラックが何往復もして、部屋は少しだけスッキリしたが、やがてまた買い集めた無名のアート作品で埋もれはじめているらしい。

オレは別にアートで一攫千金を狙えと言っているわけではない。そもそも現代アートの概念はごく最近になって西洋から輸入されたもので我々になじみのある考え方ではない。

歴史をさかのぼり、西洋諸国で限られた一部の貴族階級のみが芸術を楽しんでいたころ、日本では大量に印刷した浮世絵を一般大衆が包装紙に使ったり障子紙を修繕したりしていた。誰もが芸術に触れることができたこの国では美そのものが生活に根付いているので、改めて「はい、これがアートです」と値札ととも芸術品を見せられてもピンとこなくて当然なのかもな。

美しいものに囲まれて暮らしてきた日本人はアートよりも「骨董商」としての方面で才能を発揮できるのではないかと思う。

骨董とは昔からある古いものに、ストーリーを添えて価値を付ける商売だ。ことば悪く言えばガラクタに口八丁で価格をつけているとも言えるが、どんなものからでも人の気がつかなかった美しさを新しい切り口で取り出すというのは、卓越した審美眼なしにできることではない。そして日本これまでずっとそうやって世界を驚かせてきた。

これからの買い物は使い終わったり飽きたりしたら手放すことを前提とせず、日用品から家具まで、次の世代まで残したいと思えるよいモノを夫婦で相談しながらしっかりと選ぶようにしたらよい。その時は「ブランド」だけに踊らされてはいけない。日本には無名でも美しいモノが溢れている。そして自分が直感で「これだ!」と思ったモノを少しでも長く使うために努力することに生きる楽しさがあるのだ。それをきちんと整理・保管し、価値を後世に伝えようとするとき、倉庫などの収納設備は我々にとって大きな味方となる。

資本主義社会が利益を追求してゆけば世界のモノづくりはこれから先、画一化や規格化の波にのまれてゆくだろう。それは個性を生む手作業の工程は「非効率」の名のもとに省かれ、店頭に並ぶ右の商品と左の商品の区別がつかなくなってくるということだ。

しかし人は血の通っていないモノから感動を得ることはできない。楽曲のネット配信が一般的になりつつあるいま、音楽ファンたちが一斉にレコードに走っているのがその証拠だ。ついには「カセットテープ」が増産されはじめたというニュースまで聞いたぞ。

いま売っている当たり前のモノが30年後に必ずお金に変えられない価値を持つようになる。さて、何を未来に持ってゆこうか、倉庫や収納を存分に使って人生を楽しんでくれたまえ。
 

 
 
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by hoo-ja986 | 2016-10-25 22:34 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
缶詰の点検
 
アツヲです。

今日も缶詰の賞味期限の点検作業です。
有事の際を想定して集めた缶詰も、
いざという時に期限が切れてたら食べることができませんからね。
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学生時代に自衛隊の友達がよく戦闘食糧1型っていう隊員用の缶詰をアパートに届けてくれて、
それで飢えをしのいだ思い出もあって、その時以来ぼくは缶詰は味も見た目も大好きなのですが、
ちょっと調べてみたら、あれって官給品だから横流しは基本ダメなんですね。

じゃあこのエピソードはなかったことにして、僕はいつの間にか自然に缶詰好きになったんですけど、
特に好きなのが、紙のパッケージに入ってて取り出すと中は賞味期限の印刷だけの缶詰です。
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この男らしいブコツさがなんとも素敵です。
中に何が入ってるのか、今となってはよく思い出せないけど、
並べたらカッコいいし、ブックエンドにもなるし、ピンチの時は何か食べられるもの入ってるし、
缶詰って一石何鳥なんだ。

写真の端っこに写ってるDVD「チャーリング・クロス街84番地」、これよい映画です。
ロンドンの古本屋さんの話です。いや、ベルリンだったっけ?まぁいいや。

アツヲでした。




 
 
 
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by hoo-ja986 | 2016-10-17 22:32 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
アツヲに訊け!スーパー![13]
    
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ブログだけで読める「アツヲに訊け!スーパー!」第13回!
今回はアツヲが空想科学に挑むぞ!デザインの面から「どこでもドア」価格を探ったのは世界初?


 
もしどこでもドアが発売になればだいたいどのくらいの価格になると思いますか?
ドラミちゃん(34歳・女)


 おい!ウィキペディアに「どこでもドア」は640,000円と書いてあるぞ!しかし同時に「10光年」先まで移動できるとか「空間歪曲装置」などの記述もある。現代の物理学を大きく無視している点が散見されるので、ここではあえてウィキペディアの情報は無視して、あくまで思考実験として答えることにする。また国民的アニメの夢を壊さないために、世界を完全に切り離して、この世界の話として考えてみよう。よって登場人物を「青いロボット」と「お昼寝くん」とさせていただく。あしからず。
 
 「どこでもドア」の価格を算出するにはまずその技術の成り立ちを探らなければならない。しかし答えは簡単。瞬時に物質を遠距離移動させる技術、これは明らかに軍事用だ。それも国境を越えて敵国を攻撃する戦略兵器である。ICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)をも凌ぐ超戦略兵器と呼ぶこともできるかもしれない。

 作中ではドアの形をしているが、おそらく開発初期はそのイメージに程遠い巨大プラントのような施設だったに違いない。莫大な予算は一国で賄うことなど到底出来ず、表向きは平和利用を名目として同盟国間で予算と敷地を分担して開発されたはずだ。イメージはヒッグス粒子発見に使われたLHC(大型ハドロン衝突加速器)のようなものか。

 仕組みとしては、まず送信設備にて 物質を細かく裁断して分子情報をスキャン、そのデータを受信施設に送信、3Dプリンターのように再構築するという方法が考えられる。ウィキペディアでは空間そのものをねじ曲げて繋げるワープ航法タイプの技術をうかがわせているが、実現には相対性理論をあと何回かモデルチェンジする必要があるため、ここでは取り扱わないものとする。

 技術革新ののちに不必要なものとなるが、最初は送信施設に対して受信施設も必要だったはずだ。受信施設の建設は相対的に弱い立場の国が受け持つことになり、ここでも侃々諤々の議論があったことだろう。有事の際によそから「困ったもの」が転送されてくる施設を喜んで建てる国はないから、建設を押し付けられたといった表現が正しいだろうか。「国家に真の友人はいない」とはよく言ったものだ。

 物騒な空想はこのへんにして一度話をもとに戻そう。あれの価格がわかれば良いのだ。結局、物質転送の技術は同盟の解消や紛争で世界に流出・拡散。それが一般化した世界では国家間の軍事的抑止力の開発競争は無意味なものなり、全世界に平和が訪れている と強引に結論付けてしまおう。

 つぎは大胆に切り口を変えて、どこでもドアのデザインに注目してみよう。工業製品のデザインというのはどのカテゴリーにおいても一定の法則を持って進化する。機能や内部構造を優先し、無骨で重量もかさみ、とりあえず発売はするけどメーカーも大量に売れることは期待していないという初期。まだ価格は高い。中期は価格の下落とともに少しずつデザインは洗練されてゆき、カッコよさや小型化といった概念が取り込まれる。より多くの人に広く普及させることを目指し、カラーバリエーションの増加や意味の分からないギャグみたいなデザインも登場する後期には、価格も底となる。

 これを当てはめると青いロボット がポケットから出して使うあの「どこでもドア」は確実に末期のプロダクトだ。開け閉めのたびにバタンバタンと音のするドアも、吸音材を省かれているか工作精度が極端に悪いか、もしくはその両方であり、カタログのスミに載っている末期の下級モデルで間違いない。

 カラーバリエーション拡充の果てに売れ残った春のピンクエディションが22世紀デパートの片隅で現品処分価格にて売りに出されているものに彼が飛びついた、といったところだろうか。

 ここで青いロボットの金銭感覚だが、大好物のどら焼きを皿に盛ってもせいぜい10個以内、それをお昼寝くんの漫画を読みながら嗜むという暮らしぶりから、欲望のレベルは一般的な大人のそれと大きくかけ離れたもので はないと推測される。いや、むしろお昼寝くんと長期にわたり価値観を共有し親密な関係を保っていられる点を見ると、お兄さん的立場をとりながらもまだ子供に近い。であれば子供が具体的にイメージできる大金の限界値を「10万円未満」とし、どこでもドアの春のピンクエディションの処分価格は8万9,800円(税別)あたりでどうだろうか。このあたりが彼の視野に入るギリギリだ。

 さて、予想価格は出たが、「どこでもドア」の仕組みには大きな不安が残る。というのも、あれをデータ転送タイプの技術と仮定すると、お昼寝くんはドアを使用するたびに必ず中で一度死ぬことになるからだ。

 ドアが閉まった瞬間に彼の体は細かく切り刻まれ、DNA情報を解析されたあと、デ ータが転送される。転送先でお昼寝くんの体を忠実に再現し、最後に脳にそれまでの記憶を焼き付ける。当然、ミンチにされた記憶のみが巧妙に消し去られて、だ。

 鴨長明が方丈記に「ゆく川の流れは絶えずして、しかしもとの水にあらず。よどにみ浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」と記しているとおり、太古より日本には一つの生命の存在を絶対的な生死から切り離して考えるという土壌が育まれている。たとえセンターが変わろうとも我々はそれをAKB48と認識できるのと同じように。ボーカルが和久二郎になろうともそれを第3期のWANDSと自分を納得させられるのと同じように。だからこそ友人たちはどこでもドアの中でお昼寝くんが一度生まれ変わろ うとも、違和感を抱くことなく接してくれるのだろう。

 そう考えると日本以外の多くの国では「どこでもドア」の生物に対する使用は法律により厳しく禁止されている可能性が高い。クローン人間のように実験すらタブーとなっているのではなかろうか。

 ではそんな代物がいつどこで開発されたか。私の仮説ではお昼寝くんこそが世界初の「どこでもドア」の被験者である。そうすれば青いロボットが時を超えてわざわざ現代の日本にやってくる理由にも説明がつくのだ。いまや青いロボットが日本製なのかすら怪しくなってきたが、いずれにせよ法治国家での危険な人体実験はやはりご法度である。そこで「法的に存在しない命を法は扱えない」というロジックを巧妙に用いて22世紀にはすでに存在しない人間、つまり20世紀でつつましく暮らす小市民のお昼寝くんに白羽の矢が立ったというわけだ。まるでマイケル・クライントンのSF小説の世界だ。かくしてのび太が劇中で最初にあのドアをくぐった瞬間、どこでもドアの生体利用の技術が確立された。

 「ご先祖様を幸せにしたい」という子孫の言葉も真っ赤なウソ。あのどこでもドアの能天気なデザインも、プロダクトデザインの流れというよりはお昼寝くんを警戒させないための心理的カムフラージュにすぎず、そのシステムのほとんどを外部化しており、本体は22世紀にあるのではないか。お昼寝くんがドアを通過するたびに、背後で成功率の向上を本部に報告してほくそ笑む青いロボット。幸いなことにマンガやアニメを見る限り、お昼寝くんの転送に失敗する描写はなく、制度の高さには恐れ入るしかない。毎週の放送が慣熟試験とすれば、異世界や宇宙に出かけてゆく劇場版はさながら耐環境極地試験といったところか。

 まぁ、よく考えてみればそれを運んでくるタイムマシン自体が技術的に時空を歪めてしまっているわけだが、ああいう技術は世界の崩壊と背中合わせだということを彼らは自覚しているのだろうか。タイムマシンをツタヤにDVDを返却しに行く時に使う中古の原付のようにお気楽かつ粗雑に使うのは即刻やめていただきたい!
 
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by hoo-ja986 | 2016-10-07 17:31 | アツヲ@営業部 | Comments(0)