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アツヲに訊け!スーパー![50]
   
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いつか何かの役にたつ「アツヲに訊け!」のスペシャル版!
「アツヲに訊け!スーパー!」第50回!
ほら50回になった!
あんまりしっかり数えてないけどきっと間違っていないはず!


 
なぜ、大人の世界でも子供の世界でもいじめがなくならないのでしょうか?
MiMi太郎(35歳・女)


 人間に限った話をすると、差異が小さく流動性の少ないコミュニティほどいじめは発生しやすくなる。学校や会社というのは構造的にこの条件にあてはまる。一生を通して学校や会社に属さない人間が日本にどれだけいるだろうか。このことだけでもいじめが世間に蔓延しているように見える理由は簡単に説明がつく。ちなみに差異が小さいということは、いじめを行っているメンバー各個はいじめているターゲットと能力的には大差ない。正しい判断力があれば、もしいじめられても「こいつらも自分と大して変わらないんだなぁ」と思って心の平穏を取り戻すことも可能だ。例外として小さな子供はそれが分からないし、逃げる能力もないので、大人の保護が必要になる。タイマンならば相手をノックアウトするという方法があるが、いじめには基本的に「逃げる」を主とした消極的対策以外にないということをどれだけの大人が正しく子供達にアナウンスできているだろうか。「多勢に無勢」「万事休す」これらの言葉がすぐに浮かばない、もしくは浮かんでも認めない人生とはかなり過酷である。

 話を戻そう。逆に構成される人間の能力差が大きくバラエティも広い集団ほどいじめは発生しにくい。最近、人間の社会でもダイバーシティの重要性が叫ばれているが、これはマイノリティをヒューマニズムの観点から保護しようということでは全くない。人間というのは切り口を少し変えるだけで誰もが簡単にマイノリティに陥ってしまうという当たり前の事実に目を向けるだけの理性を、近代社会がようやく身につけ始めたというだけにすぎない。

 どちらにせよ、いじめそのものがこの世から消えることはない。それが発生しやすい場所としにくい場所があるというだけだ。だから大人になる目的は、いじめが起こっている場所から逃げる能力を身につける。それができない場合でも例えば複数の生活圏を持つことでそこから目を逸らしたり無関心になることができるスタンスを獲得して生き延びることにある。

 ところで、パラグアイのある狩猟民族にはいじめが無いと言われている。獲物は部族の中で平等に分配されるし、そもそも上下関係や権力機構もないので誰か特定の者が食糧を独占してしまうようなことも起こらない。仲間は常に信頼の絆で結ばれ笑顔を絶やすことなく、客人も毎晩ごちそうでもてなされる。しかしここにも大きな落とし穴がある。農耕民族と違い、狩猟民族は確保できる食糧の先読みができないので、働ける者以外を養う余力はない。よって年寄りは動けなくなれば躊躇なく殺されるし、時に子供であっても能力が劣ると判断されれば大人によって殺されてしまう。部族の存続に役立つかそうでないかのみが生命の価値判断となるんだ。全員が平等にトップエリートであるということは、それ以外の生き方は全く用意されていないということで、差異ゼロの世界の先にあったのは「餓死」か「殉職」とだったいうわけだな。

 いじめがない世界の真の姿はユートピアというよりはディストピアだ。このような世界は文学でもジョージ・オーウェルやオルダス・ハクスリーを始めとして多くの作家の手により警鐘として何度も繰り返し描かれている。主に技術の進歩で人間の選別や管理が可能になった世界が舞台になることが多く、オーナーがやや違えどもヒット映画の「マトリックスシリーズ」もこのラインだ。この関係性が分かれば、人間はいつの時代も生命の完全なコントロールに憧れながらも、管理社会のディストピアから少しでも距離を取ろうと戦っている生物と考えることができる。いじめは、人間は人間であり続けるための葛藤の先に生まれる悲しい副産物と見ることもできるのだ。




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by hoo-ja986 | 2018-05-09 20:20 | アツヲ@営業部 | Comments(0)
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